茉奈と恋のSVRと恋のカベ
これまで、私は恋を「依存症のようなもの」として話してきたね。
正直、なんか納得いかなかったです。
「恋愛至上主義」的な考え方では、それを見失ってしまうと思ったんだ。
恋のSVR
アメリカの心理学者マーンスタインは、恋のSVRという理論を提唱しました。
SVRというのは、恋愛のプロセスを表しています。
男性と女性は、刺激(Stimulus)によって恋に落ちます。
この段階では、外見的な魅力や社会的地位などが、お互いを惹き合う刺激として、重要なのです。
次に、お互いの価値観(Value)を共有していくことで、二人の関係を深めていきます。
趣味やセンスといった軽い価値観から、人生や愛についての考え方など、深い価値観まで。
価値観の「類似性」が高くなればなるほど、恋愛関係が深まっていきます。
そして最期に、お互いの役割(Role)を認識し、相補的な関係性を育むことで、結婚や共同生活に入ります。
ここでは「お互いの欠点を補いあう」ような関係になることが重要とされています。
以上、恋愛の初期においては、刺激が重要になる「S段階」、
恋愛の中期においては、価値観の共有が重要になる「V段階」、
そして、最後に相互の役割が重要になる「R段階」。
そんなふうにまとめたのが、マーンスタインのSVR理論です。
それじゃあやっぱり限界がきてしまう
恋のカベ
普通のカップルというのは、大体このR段階にいきつくことなく破局を迎えます。
そして、カップルが別れてしまう理由は様々ですが、大雑把にいえば、主に二つの条件が合わさったときです。
- 恋のときめきを感じられなくなった
- 一緒にいるデメリットの方が大きくなった
つまり、端的に言えば、「お互いがお互いを必要とすることができなくなった」ということです。
SVRが指し示すように、確かに人は刺激によって惹かれ合います。
そして、恋愛の初期から中期にかけて、価値観を深め合うようになるでしょう。
Vの段階に入って、自分たちが「似ている存在」だと思い、恋愛関係は深まっていきます。
しかし、そこで、めでたしめでたしとはいかないのです。
第0講でも説明しましたが、恋をすると、理性的に客観的に物事を考えることは難しくなります。
加えて、人は、自分が好きだと思う人に対して、「自分と似ている」と認識してしまう傾向があることが心理学の実験からはわかっています。
つまり、価値感も、本当は似ていなくても、似ていると錯覚してしまうのです。
私たちの「認識」というものは本来、客観的で合理的なものなどではなく、感情や脳内物質が作りだしてしまう恣意的なものだからです。
そして、感情が冷めてきて、相手のことがよく理解できるようになると、似ていないことに気づきます。
そこで、「価値観の相違が生まれた」ように感じるのです。
すれ違うことが増えたんじゃなくて、実際には、ようやくお互いの違いに気づけただけです。
こんなふうに、恋のときめきがなくなってきて、お互いの違いばかりが気になってきたときに、「恋のカベ」が見えてきます。
そこで、お互いが一緒にいることの方が苦痛に思ったときに、別れを選択します。
お互いを精神的に必要としあう役割ができていなければ、長くは続かないのです。
やっぱり、お互いの役割がないと最終的には続かないんだよ
恋は、やっぱり感情でするものだから。
まとめ
- 恋愛は、刺激が重要になる「S段階」、価値観が重要になる「V段階」、相互の役割が重要になる「R段階」がある
- ほとんどのカップルは「R段階」に行きつくことなく破局する
- 恋に落ちていると、お互いの価値観が「似ている」と錯覚する
- 恋のときめきがなくなって初めて、価値観の相違に気づくようになる
- 恋愛関係において、お互いを精神的に必要としあう役割ができていなければ、長くは続かずに別れてしまう
連戦に続く連戦で、立っているのもやっとの茉奈の前に立ちはだかったのは、「恋のカベ」。
茉奈は東條から授かった「恋のSVR」を駆使して戦うも、まるで歯が立たない。
身も心もぼろぼろに蹂躙され、絶望に瀕した茉奈だったが、そのとき、思いもよらぬ奇跡が起こった!
そして、とうとう明らかになる「成熟した依存関係」とは!?
東條先生の恋愛講座
成熟した依存関係、最後の希望
じゃんけん、ぽん!
ウフフフフフー
(ちょっと面白いかも)