茉奈と依存と恋の罠
(第3講の続き)
依存症と恋の共通点
依存というと、誰かにすがりつくことを思い浮かべるかもしれません。
しかし、ここでは「中毒」というニュアンスに近い意味です。
恋の中毒性は、神経学的な観点からいえば、特に「ギャンブル依存症」とプロセスが似ています。
恋愛をしているとき、私たちの脳内では、あらゆる依存症のもととなるドーパミンという快楽物質が大量に分泌されています。
特に、恋愛をしているときに脳内から分泌されるフェニルエチルアミンは、アンフェタミンつまり覚せい剤とよく似たような働きをします。
著しい高揚感やエネルギーをもたらすと同時に、フェニルエチルアミンが切れたときは、激しい脱力感や疲労感に見舞われます。
そして、それが手に入らないときは狂ってしまいそうなぐらい苦しくて仕方がなくなってしまいます。
それが、脳内麻薬だから?
そして、その役割は「欲しくて仕方がなくさせること」なんだよね
快楽と報酬のもたらす罠
ドーパミンやフェニルエチルアミンというような、快楽・報酬系の神経伝達物質は、「それが欲しくて仕方がなくさせる」という役割があります。
例えば、あなたがダイエット中で、目の前においしそうなポテトチップスがあったとします。
あなたは、大好きなポテトチップスをみて、それが食べたくて食べたくて仕方がなくなります。
この時、あなたの脳内ではドーパミンがドパドパと分泌されています。
そして、あなたが実際にポテトチップスを口にしたとしましょう。
すると、あなたはどんな気分になるでしょうか?
確かに、一口目はとてもおいしく感じ、幸せな気分になれるでしょう。
では、そのまま食べ続けて、一袋たいらげたときにはどうでしょうか?
幸福で満たされていて、充実した穏やかな気持ちになれていますでしょうか?
いいえ、実際には、心がそれほど満たされていないはずです。
代わりに、「またやってしまった」という罪悪感にさえ、さいなまれるかもしれません。
一方で、ポテトチップスを我慢したとしましょう。
その間、あなたの脳内ではドーパミンがドパドパと分泌され続けます。
食べたい、食べたいという欲求ばかりが募っていきます。
そのことが大変なストレスとしてのしかかってくるのです。
そのくせ、実際に口にしてみても、満たされるのはほんのわずか一口にすぎません。
実は、ここに快楽・報酬系の神経伝達物質が抱える落とし穴があります。
つまり、手に入らなければ苦しみとして感じるし、手に入れ続けると最初はここちよく感じるものの、徐々に満たされなくなってしまうのです。
「心が充足されて満たされている」という感覚は、実際には、快楽・報酬系の神経伝達物質とは、まったく別の神経伝達物質がもたらしているのです。
人は確かに恋をしているときは気分が高揚し、エネルギーに満ちあふれます。
相手を「欲しくて仕方がなくさせる」ために、脳内の神経伝達物質があくせくと働いてくれるからです。
まとめ
- 恋愛ホルモンであるフェニルエチルアミンは覚せい剤とほぼ同じ働きをする
- 快楽・報酬系の神経伝達物質は「欲しくて仕方がなくさせる」ことが役割
- 快楽・報酬系の神経伝達物質によって得られる快楽わずかだが、手に入らなければ脅迫的なストレスにさらされる
- 快楽・報酬系の神経伝達物質では、刺激に対する耐性ができて、徐々に満たされにくくなっていく
- 「心が充足されて満たされている」という感覚は、快楽・報酬系の神経伝達物質とは別の神経伝達物質によってもたらされる
これじゃあ、恋をしている自分がまるでバカみたいじゃないですか
そんなつもりはなかったんだよ。
⋯ごめん、多分、的外れのお節介だったよね
あんまり気にしないでくださいね
バカみたい。
彼が私を気にしてくれていたことが、こんなにも嬉しくて、切なくて、幸せで、苦しくて。
「気にしないで」なんて言ったけど、でも本当は自分のことだけを気にしていてほしいし、そんなふうに思ってしまう自分がなぜか惨めに思えてくる。
涙が出てきそうで、バカみたい。
帰ってからため息をつき、ベッドに横たわってからも、そんなことばかりが頭に浮かんできて眠れない茉奈なのでした。